「頭を使って知恵を出そう 身体を使って汗を出そう」
当社の社訓として受け継がれているこの言葉。現役を退いたはずの私の頭の中には、いまもなお深く刻まれ続けています。
菊村防災設備株式会社は、2027年10月27日に創立60周年を迎えます。これはひとえに皆さまからのご支援・ご協力の賜物であり、「今日」という日を社員一同が迎えられていることに感謝の念を送らせていただきます。
当社を立ち上げたきっかけをお話しますと、高校時代に従事していた防災機器関連のアルバイトまで遡ります。
1950年代に差し掛かっていた当時は、日本の工業レベルが復興から成長へとシフトする感覚を肌で感じておりました。そのなかで私は、防災関連の法令基盤が整っていない事実に勘案をしていたのです。
「日本の発展には人命第一が欠かせない。防災こそ、日本経済の礎となる。」そう確信したわたしは、高校卒業後に防災関連会社へ入社し、防災の基礎を身体に叩きこむことからスタートしました。
転機は、所属していた会社の撤退が決まった1965年6月。取り残された協力会社などからの声を受け、私が事業を引き継ぐ形で生まれたのが、現在の菊村防災設備株式会社です。
しかし、当時一社員であった私には、当然のごとく事業継承をしない選択肢がありました。先の見えぬ状況に二の足を踏んでいた私の背中を押してくれたのは、同僚であり妻の君子です。
妻は、税務署からのお墨付きが出るほど、経理能力に秀でておりました。
「会社の中のことは私に任せて、あなたの思うとおりに挑戦してほしい。」
菊村防災設備が誕生し、60周年に渡り社会と共生をしてこれたのは、そんな妻の言葉があったからにほかなりません。このような経緯で、1967年10月27日に菊村防災設備株式会社が誕生しました。
神保町に腰を据え、少数精鋭で始まった挑戦は、まさに怒涛の日々。日本橋の電気屋を中心に足を運び続け、あらたなお客様とのつながりを必死に紡いでいきました。
現場作業も行っていた創立当時の私は、溶接の作業中に受傷事故を起こし、失明しかけたことがあったそうです。そんな記憶すら自身に留めておけないほど、あの頃はお客様のことだけを考え続けておりました。
前段の企業から付き合いのあった、自動火災報知設備メーカーである日本信号株式会社の代理店としても機能していた当社。
日産自動車株式会社やトヨタ自動車株式会社など、大手自動車メーカーが有する工場の防災設備設置・点検業務を引き受け、裾野を広げていくことに注力していきました。
現在も協力関係にある株式会社雄電社の元へは、週に4回は自ら顔を出してコミュニケーションを取っていたことを思い出します。そうした努力が実り、菊村防災設備は一歩ずつ歴史を紡いでいきました。
時は流れ、2014年には株式会社初田製作所に株式を売却。約2年後に初田製作所からの出向をきっかけに出会ったのが、現社長である岩丸氏です。
彼には、時代の変化に順応しながらも、私が命を注いできた「お客様との信頼関係を更新する」力があると感じています。皆さまにはどうか、変わらずのご支援をいただきたく存じます。
最後になりますが、今日という日を菊村防災設備に捧げてくれている社員に、私からこの言葉をあらためて贈らせてください。
「頭を使って知恵を出そう 身体を使って汗を出そう」